お知らせ

6月10日のオープニングパーティー情報

6月10日のオープニングパーティーでは、山本朗生先生がお祝いに、三味線・篠笛を20分間披露してくださいました。
斬新な音色と迫力に魅了され、会場には爽やかな時間が流れました。
また、木工作家の山中晴夫先生に歌を披露して頂きました。

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韓国の女性雑誌「レディー京郷」2013年10月号 に金愛子先生の記事が掲載されました。

金愛子記事1_レディー京郷2013.10

金愛子記事2_レディー京郷2013.10

金愛子記事3_レディー京郷2013.10

在日同胞 金愛子画伯「画幅に自然と写してきた人生」
『レディー京郷』 金ミンジョン

 愛子シリーズは隣の国に暮らす愛子という名の女性をインタビューし、現代女性の生き方と向き合う企画である。日本に生きる様々な女性に出会い、日韓の共通点を探り、同時代を生きる日韓女性の連携を渇望する。今回は、韓国の南原や京都の風景を描いてきた画家・金愛子さんをインタビューした。

◎絵が私を選んでくれた
 愛子シリーズも残り3回。この企画では、様々な価値観を持ち、それぞれの人生を歩む「あいこ」をインタビューしてきた。
 今回は「あいこ」ではなく、「エジャ」と呼ばれる一人の画家に出会った。梁石日や柳美里のような在日同胞の小説家は韓国にもよく知られているが、同胞画家はあまり紹介されていない。主に日本で活躍し、韓国でもグループ展を開き、作品を展示してきた金愛子画伯(57)は、1956年、京都で生まれた。小さい頃から絵が好きで、小学校1年生の時すでに画家を夢見ていた。薄緑の背景に柔らかい線が踊る風景画は、どこか懐かしく、とても温かい。「野原に咲く花のように一生を自然と共に暮らしたい」と語る画家に出会った。

―アンニョンハセヨ。お若いんですね。
1956年5月5日生まれです。5月5日生まれは運がいいんだそうです。知っていましたか。

―いいえ、知りませんでした。先生は、運がよいほうですか。
もちろんです。夢にまで見た画家として暮らしていて、これからもそうですから。

―(中略)―

―本格的に絵の勉強を始めたのはいつからですか。
学生の時は、一人で絵を描いていました。高校を卒業して在日大韓民国民団に就職しました。仕事を始めて4年後、突然、絵を描きたいと思うようになりました。そこで、関西で一番有名な関西美術院研究所に通って絵を学びました。1901年に組織された西洋画家の集まりが美術研究所になり、梅原龍三郎や安井曽太郎のような画家が育ったところです。

―(中略)―
 
小さい頃から画家を夢見てきた金愛子さんは、まるで神がかったかのように絵が描きたくてたまらなかった。描かなくては生きていけないと感じた。母親は画家になりたいという娘の将来を不安に思った。だが、母親の思いを知りながらも娘は夢を諦めることはできなかった。絵が私を選んでくれたなら、そこに一生懸命に応じたいと考えていた。

◎自然とひとつになる喜びに満ちた画家
 絵を描きはじめた金愛子さんは「光陽展」など公募展で受賞し、自分だけの個性で世界を表現してきた。人物や生物よりは風景画が多い。特に韓国の古い街の風景が魅力的に描かれている。あらゆる風景が彼女に絵を描いてほしいと語りかける。薄い緑の光が広がる風景や濃い緑色に懐かしさが込められた作品からは、親しみが感じられる。手を伸ばすと届きそうな、遠い記憶がその風景に宿る。

―韓国の風景画をよく描いていますが、いつから韓国を題材にしていますか。
20代半ばです。母の故郷が南原です。母方の祖父は、詩人でした。南原といえば、「春香伝」ですよね。昔から芸術の都でした。祖父の芸術的な面を私が受け継いだのかもしれません。

―自然をよく描く理由がありますか。
一度、南原に行った時ですが、絵を描く日程がたった2日しか取れませんでした。一日目は雨でスケッチに行けませんでした。それが次の日も雨。しかし、描きたい一心で雨の中で絵を描き始めました。すると、雨の音はしているのに、描いている間、雨そのものを全然感じなかったのです。絵を描いている私だけ除いて、景色にだけ雨が降っているようでした。3時間くらいでしたが、私は雨に降られませんでした。とても静かで、この世の過去と未来をこの手に入れたような、そんな気持ちでした。天と一つになった気持ちで描いていました。自然が私に絵を描いてほしいと言っているように思えます。

―(中略)―

 金愛子画伯は、自分を自然によって選ばれた人だと語る。それは傲慢ではなく、謙虚から生まれた言葉である。自然の素晴らしさを完璧に表現できないことに苦悩し、日々、絵に没頭している。デートをするよりも絵が魅力的だと言う。独身で生きてきたが、何一つ後悔することはない。絵と結婚し、絵を通して自然と一つになれるので、これ以上のことは望まない。彼女は語る。「自然はどんな欲も持っていない」と。「何も求めず、ただ自分の居場所を守り、様々な表情で語りかけてくる」と。その自然を自分の目で確かめ、自分の手で再現したい。消えていく韓国の古い町並みを、故郷である京都の原風景を一枚一枚絵に残しておきたい。懐かしい風景を残すことが金愛子画伯に与えられた使命である。

◎韓国との出会い
 金愛子画伯の両親は、5歳の時に来日した。廃品集めや民団の職員として働きながら、3人の子どもを育てた。愛子さんが14歳の時にお父さんが亡くなり、お母さん一人で子どもを育ててきた。絵を描くことに反対する母親を説得する為に、一生懸命に絵を描いてきた。30代までは生活が苦しいこともあったが、40代になると、絵で生活ができるようになった。奇跡のようだと感じた。絵をやってきてよかったと思う瞬間だった。今の生活は絵がくれたプレゼントだと考えている。

―(中略)―

―これからの夢は?
絵を通して感動を伝えることができたら・・・・・・。詩人である祖父の故郷・南原。私もその恩恵があって画家の道を歩むことができました。自分のルーツに感謝し、祖父のあとを継いでいきたいです。また関西美術院研究所で西洋美術に関して多くのものを学びました。先輩である梅原龍三郎のような画家のあとを継げるように精進していきたいと思います。

―(中略)―

 金愛子画伯は、静かな絵の中に、平和の種を植える。自然がくれる豊かさを画幅にうつす。世界の平和のために、南北の統一のために、金愛子さんの絵が多くの人々に感動を与え、大きな役割を果たすことを願う。
また近日中に、韓国で個人展が開かれることを期待する。
 

京都新聞に掲載されました。

2014.1.31京都新聞記事・写真部分

京都新聞2014年1月31日金曜日
「憧れの京都」鏡で表現
上京 韓国の工芸作家が個展

京都に魅せられた韓国の鏡工芸作家が、
京都市上京区河原町通今出川下ルのギャラリー「京都画廊」で作品展を開いている。
古都の風景をイメージし、鏡に細かな細工をあしらった作品が並ぶ。

ソウル在住のバン・ヨンチョルさん(51)。
15年ほど前に観光で訪れ、京都の町並みや文化に感激した。以来毎年訪れている。
鏡に金属を組み合わせる作品を手がけており、「憧れの京都」への思いを形にしようと開いた。

会場には約30点を集めた。
このうち、「Cherry Blossom」は、「現代的なイメージがある」という鏡に、
古材で作ったフレームを合わせ、「伝統と革新が調和した京都の町」を表現。
サクラの木にクリスタルを埋め込んで風に揺れる花びらを表現する装飾もあしらった。

ほかにも、芸舞妓の帯をイメージした華やかな色合いの作品や、
嵐山の竹林を題材に造形したものもある。

2月14日まで。午前11時〜午後6時。入場無料。月曜休み。
京都画廊 電話:075-255-1308。

京都新聞に掲載されました。

20130621_kyotonews

京都新聞2012年6月21日木曜日
国を超え文化交流の場に
在日韓国人の男性23日、上京に画廊開設

国籍や国境を超えた文化交流を図ろうと、京都市在住の在日韓国人の男性が、上京区の河原町今出川下ルに「文化交流センター京都画廊」を23日に開設する。初回は、日韓両国の洋画家の重鎮による美術交流展を催す。若手の発表の場として貸し出すほか、朝鮮半島の文化を学ぶ市民講座なども計画している。

韓国民団京都府本部団長の王清一さん(70)=中京区。京都国際学園(東山区)の理事長を長く務めるなど在日韓国人の教育や文化振興に力を入れてきた。韓流ドラマやK-POPなどを通じ、日韓の距離は急速に縮まった。「文化をしることでお互いをよく理解し合える」。文化の力を信じる。2年前、「文化センターを作りたい」と旧知の洋画家李景朝さん(75)=大阪市=に持ち掛けた。王さんが所有するビルの一室を提供し、李さんが館長として企画運営に当たる。23日からの「日韓美術交流展」(7月7日まで、月曜日休み)には、李さんをはじめ、日本から中西勝さんや上條陽子さん、池田良則さんら、韓国から金培煕さんや厳義椒さんらの計11人が絵画約30点を出展する。

今後は日本や韓国、中国、ロシアなどの画家の作品を紹介したり、季節ごとにテーマを設けて展覧会を開く。貸し館のほか、来年3月をめどに、朝鮮王朝史やハングルを学んだり、朝鮮半島の音楽を楽しむ市民講座も予定している。
王さんは「さまざまな人がぶつかり合い、交流してこの場から新しいものを発信できれば」と話している。